プロフィール

チェルーカの 桜生和尚(さくらい かずなお)です。
(チェルーカの意味・語源については『チェルーカとは』をご覧ください)

ここでは苦難に満ちた人生と、引き寄せの法則を知ってから人生が180度変わったストーリーを書き綴っています。

学生時代

学生時代は校納金滞納、家庭の電気やガスが止まるのは当たり前。
高校時代には電車の定期券が買えず、1時間かけて通学することもありました。

そして勉強は嫌い、というか苦手でした。

小学1年生で算数の時間でした。
先生が黒板にリンゴの絵を5つ書き

 ここにリンゴが5つあります
 二つ食べるとリンゴはいくつになりますか?

という問いに
私は一目散に手を上げ

 お腹いっぱいになります!

と答え、クラスが大爆笑になったのを覚えています。
もちろん通知表はアヒルのヨチヨチ歩き。
1と2ばかりでした。

今では発達障害なども世間的に認知されてきましたが、私にも何かしらの障害があったのではないかと思っています。

恐怖体験!キューピットさん

小学6年生のときでした。
女子の間でキューピットさんが流行りました。

私も興味本位で友達とキューピットさんをやってみました。
好きな子の家の電話番号を聞いてみました。

 092-501-〇×〇×

掛けてみると、本当にその子の家に繋がりビックリしました。

私がスピリチュアルに興味を持つキッカケでした。

しかし、このキューピットさんには得体のしれない問題も多発し、学校からは禁止令が出ました。

中学の頃には、授業中に女子が立ち上がり、お婆さんのような声で

 お前ら全員殺す‼

などと発言した後に失禁し、気を失うという事件が起こり、救急車で運ばれました。
これは当時の新聞にも載ったキューピットさん事件です。

今思えば、スピリチュアルに興味を持ち、後に霊感占い師になったのもこれがキッカケかもしれません。

恋愛事情

学生の頃の告白勝率は3戦3敗で惨敗です。
フラれたときの思いはとても辛く、そして恥ずかしく、もう二度と告白はしないと決めました。

ですが『あること ※1』を理解してからは、モテ期の到来です。
30代後半になっても女子高生や女子大生にモテるようになりました。

モテない時期とモテ期を経験し、それぞれの原因が何なのかを理解しました。

仕事運

高校のとき吹奏楽部にいた僕は、卒業時にトロンボーン奏者としてプロ楽団のオーディションに通ったのですが、安易な諸事情でそれを辞退し、また浪人して大学を目指しましたが、両親が病に倒れ、進学も諦めました。

結局ガソリンスタンドでアルバイトという、いわゆるフリーター生活を5年ほど送りました。

その後、正社員で就職したのが広告代理店。
朝7時50分から朝礼。
定時は17時ですが、仕事が終わるのは毎日2~3時過ぎ。
いわゆる「ブラック企業」です。

転職をしたく、色んな企業に応募しました。
しかし送った履歴書はゴミと化し、20社連続で書類選考に落ちました。

そのとき、あることに気付き、履歴書と職務経歴書の書き方を変えたら、大手一流企業の選考にも通るようになりました。
数社内定を頂いた中で、最終的にはアパレルメーカーに再就職しました。

アパレルメーカーはやり甲斐のある仕事でした。
私は営業職だったのですが、会社一の売上利益を出し、ボーナスも私だけ上乗せをしてもらいました。

ですが勤務3年が経とうとしたときです。
突然本社へ移動の辞令が出たのです。

実はこの頃、私には多額の借金がありました。
ある人の連帯保証人になって、月給27万円の収入に対して毎月35万の支払いがありました。
昼の仕事だけでは賄えないので、夜は中州のクラブでボーイ、土日はイベントのバイトをして、一ヶ月休みなしで働いていたのです。

どうしても支払いが足りなくなると、クレジットで新幹線の回数券を30万円分買い、そのまま質屋へ直行して換金などもしていました。

本社へ転勤したら生活できない…。
周りからは栄転だと持てはやされましたが、苦渋の決断で転勤を辞退しました。
すると翌週、本社から社長が福岡支店に来られ、雇用契約解除の通告を受けました。
そして妙なタイミングですが、同時期にクラブの仕事もクビになりました。
理由はバイトが1時を過ぎたとき、帰りの終電がなくなったのでタクシー代を前借したことでした。

その後7か月間、バイトで必死に働きました。
土木、建設、引っ越し、設営などなど…。
数えきれないほどの職種を掛け持ちで昼夜問わず働きました。

そのとき年齢は30歳でした。
いい加減正社員で仕事をしないと!と思い、再就職活動を開始し美容関係の会社に就職しました。

ここで出会った会社の社長が、のちに私のメンターであり、人生の師匠となりました。
この会社には1年しか勤務しませんでしたが、社長から学んだことは後に占い鑑定をするために、とてもありがたい学びがありました。

突然の不幸と後悔

私が20代の頃、両親が離婚しました。
身体が悪かった父は生活保護を受けながら4畳半一間のアパートで独り暮らし。

月に一度は父に電話連絡をしていました。
食べるものがないと言われたら、少額ですがお金を持って行っていました。

1998年春のことです。
私は携帯を変えて電話番号も変わっていたときです。
2か月ほど父と連絡を取っていませんでした。

そして6月10日。
父が亡くなったとの一報が…。

体調を悪くした父は自分で救急車を呼び、救急病院へ運ばれていたのです。
そしてどういう巡り合わせなのか、運ばれた病院は母が勤める病院でした。
母が務めを終えて自転車で帰宅している途中で、父を乗せた救急車は病院へ向かっていたのでした。

看護師さんに心から感謝

父が亡くなった後、病院へ駆けつけました。
看護師さんの話では、父は心停止になった後に心肺蘇生で一度息を吹き返したそうです。
ですが、その後帰らぬ人となりました。

父が病院へ救急搬送されたとき、看護師さんが「身内の連絡先は?」と尋ねると、父はメモ用紙にミミズが這ったような字で携帯の番号を書き「息子に電話してくれ」と頼んだそうです。

看護師さんはメモにある番号に電話しましたが繋がりません。
そう、その番号は私が機種(電話番号)変更する前の番号でした。
私は電話番号が変わったことを父に伝えていなかったのです。

しかし看護師さんは、父の元へ行き

 大丈夫ですよっ
 息子さんがもうすぐ来てくれますよっ!

と父に伝えてくれたそうです。

このとき初めて人生最大の後悔をしました。
そして看護師さんには感謝の気持ちでいっぱいです。

大恋愛とその結末

告白3連敗していた私は、気になる女性がいても告白はしませんでした。

24歳のとき、会社の同僚だった女性とお付き合いが始まりました。
顔を見ても、話をしても、デートをしても、何をしても楽しくて仕方ありませんでした。

いわゆる大恋愛です。
ちょくちょく結婚の話も出ていましたが、中々タイミングが掴めず7年の時間を過ごしてしまいました。
「長すぎた春」という言葉がありますが、それは突然にやってきました。

 私、気になる人ができたの…

彼女は本気でした。
それからの2年間、私たちは揉めにもめ、今であればニュースになりそうな事件もありました。
彼女の車に引かれそうになったこともあります。
彼女を包丁で刺そうとしたこともあります。(本気ではありませんでしたが)

ある日、彼女が目に涙を浮かべて言った一言

 私は幸せになりたいの…

目が覚めました。
彼女を幸せにできるのは今の僕ではない。

彼女を本当に愛していました。
大切な人だからこそ幸せになって欲しい。
そして別れを受け入れました。

自殺未遂と生まれ変わり

苦労が多い人生でした。

人生、生きていることが辛すぎて、全てから解放され楽になりたいと思った31歳。
先に書いたリストラ、借金、父の死、彼女との別れ
これらは全て同時期に起こったことでした。

そして3度目の自殺未遂のときでした。

田んぼの中で意識がもうろうとした中、通りかかった人に助けられました。

 神様は死ぬことすら許さないのか…

私は絶望しました。

そして神様に祈りました。

 神様
 楽になりたくて死にたいのに
 それも許されないのですか?

 だったら僕は夢を捨てます
 お金もいらない
 友達も恋人もいらない

 なにもいらないから
 不幸な思いだけはしたくないです

と。

すると天からオジサンの声がしました。

 風になれ…

幻聴のようにも思いましたが、その声はリアルでハッキリと聞こえました。
この『風になれ』という言葉が、後に私の人生を180度変えることになりました。
それは2001年4月1日のことでした。

そして『風になれ』の言葉の意味を紐解くことで
引き寄せの法則『チェルーカ』が生まれました。

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